DJ Kenny
Masatoshi

7歳
ドラムと出会いドラムを始める。レッスンを受ける。

17歳
disk unionのレーベルPhalanxに所属していたバンド(RedHotRockin'Hood)にオーディションを受け加入しクラブチッタ川崎、 名古屋ダイヤモンドホールなど日本全国で活動する。

18歳
自分の実力を知りたくイギリスに行きレコードのバイヤーをやりながらイギリス人とバンドを組みMotorHeadなどとライブをする。

20歳
イギリスのレコード会社と契約までいったが、自分がやりたい音楽がイギリス音楽ではないと思い、 アメリカのサンフランシスコに行き、 JAZZバーでアメリカでの師匠Shaun Mcgongel(元バークレイ音楽院教授)と運命の出会い。 自分がドラマーであることを話すと、 ライブ終了後『叩いてみろ』とShaunがスティックを渡してきた。 満席の客の前でソロを叩き会場は大うけスタンディングオーベーションとなり、すぐにShaunの誘いで弟子入りする。

22歳 
米国内のドラムコンテスト(各コンテストで上位入賞を果たす)を転戦しながら 審査員を勤める多くのレコーディングプロデューサー達の目にとまり 多彩のプロジェクトに参加、ドラマーとしてだけでなくコンポーザー、ソングライターとしても高い評価を受ける。 噂を聞いた西海岸のミュージシャン達(モトリクルーなど)多数からセッションの誘いを受ける。

23歳
ホイットニーヒューストンのプロデューサーをしていたJud fredmanのプロジェクトにアシスタントとして参加する。

24歳
Korn,Limp bizkit,Slip KnotなどのプロデューサーのRoss Robinsonのプロジェクトに1年参加。

25歳
アメリカ国内でミュージシャン達と交友関係が増えるなか元Green DayのプロデューサーのRobと出会い、 彼をギターリストとしてユニットを結成、メンバーを募りバンドとしてのアメリカの活動がスタートし、 Linkin Park,PAPAROACH,Kornなどのメジャーバンドのオープニングアクトを勤める。

28歳 
日本ハムファイターズの新しいファイターズ讃歌を作る。

29歳 
株式会社B.O.M RECORDS設立。